インターネット歴22年の僕がいまさらブログを始めた理由
Date
2021/02/05
Update
2022/7/23 6:25
Tag
ハック
このブログをはじめた理由や意思をのこしておくための自分語り。
「情強」として生きてきた青春時代
1990年、僕は北海道の田舎町に生まれた。
インターネットに最初に触れたのは小学3年生。
当時の地元では、僕ほど早くインターネットに触れた子供は、同級生でも片手で数えられるくらいしかいなかった。
最初にアクセスしたのは週刊少年ジャンプの公式サイト。
Yahoo!のトップからたどり、インターネットの海で掲示板やらチャットやらをめぐる日々。
こんな田舎の町から、日本中・世界中の人と繋がっているんだ…。
まだケータイも普及してないころの話だ。
それこそ、ある日突然力を授かったジャンプの主人公のような、万能感・ワクワク感。
世界の色が変わり、僕はみるみるインターネットの虜になった。
高学年になると、まわりの同級生もチラホラとインターネットを始めだした。
ちょうどそのころ、面白Flashのようなカルチャーが流行っており、これが子供たちのインターネット進出を助けていた。
一方…僕は2ちゃんねるにドップリとハマっていた。飛び級で厨2病していたのだ。
このころから
自分でHPを作りたい!
という気持ちが湧いてきた。
当時のインターネットキッズとして、自然な成長ステップだ。
Yahoo!ジオシティーズから入り、中学の頃には有料のサーバーで独自ドメインのサイトを作った。
だれかがつくったプログラムをカスタマイズし、HTMLは自分で書き、掲示板やブログのある立派なサイトをつくった。
当時の中学生が運営しているサイトにしてはそれなりにアクセスのあるサイトだったと思う。
が、広告を貼るような野心はなかった。
幼い僕にはカネをかせぐという感覚がよくわからなかったというのもあるし、
なんとなく当時のインターネットには「儲けるのは悪」という雰囲気があったからだ。
僕はただ、仲良くインターネットの住人と遊んでいかった。
だから少ないおこづかいで、自腹でサイトを運営していた。
ここまでは、何となくいい感じの成長スピードのように思える。
ここからメキメキと成長し、「今はフリーランスのエンジニアです」みたいな人生を歩んでそうなエピソードだが…
残念ながら、インターネットで「つくる側になる」という野心はそのころまでがピークで、
高校・大学はただ楽しむ側として、インターネットを消費する生活になった。
社会人になってからは、精神的に自由な時間が減り、少しずつ、少しずつ…
インターネット自体から遠ざかっていくようになってしまった。
コロナで蘇った、あの頃の衝動
時はながれ、2020年のはじめ。
コロナウイルスがまたたく間に世の中を変えた。
僕も在宅ワークをする日々となったが、これにより大きな変化が2つ起こる。
自宅が快適になったことと、精神的に自由な時間がふえたことだ。
在宅ワークが中心になると、モニタやキーボード、椅子など、仕事の環境をよくするための投資をはじめた。
すると同時に、おなじ空間であるプライベートなインターネットの環境も一気に快適になる。
さらに、通勤の必要がなくなり、毎日の朝と夕方に、好きなことができる、自由な時間ができた。
その時間は「自分のためのインターネット」に存分に使われるようになり、
幼いころのような、ワクワクできる環境が舞い戻ってきたのである。
かつての少年時代、最前線を走っていたはずなのに、いつのまにか足をとめてしまった。
インターネットの最先端と自分の距離は、どんどんはなれていく。
でも、どこかあきらめきれずにもいる。
インターネットを作る側の人生でありたかった。
そんな、かすれて消えかけていた希望が、野望が、ふたたびメラメラと燃えはじめたのだ。
YouTubeでの挫折の理由
そんな僕はまず
YouTubeをはじめて、一発あててやろう
と企んだ。
インターネットでなにかをつくること、
少年時代にたのしくチャレンジできていたこと。
そして当時はできなかった、「コンテンツの力で稼ぐ」ということをやってやろうと思った。
YouTubeのアルゴリズムについてググりたおし、20年3月からチャンネルをスタートしたが…
結果からいうと、半年くらいで更新をやめてしまった。
挫折した理由は、「自らにつくることを強いた」ことだと考えている。
これは、「毎日、何時間もかかる」というような、辛くてめんどくさいことを自分に課したという意味ではない。
むしろ僕なりに工夫して、負担なく長く続けられるようなやり方をしていた。
具体的にいうと、週1回、猫の様子をアップするチャンネルをやっていた。
これであれば、「猫をスマホで撮る」というふだんの行動で自然に素材がたまる。
週末にたまった素材を編集する時間をすこしだけとれば
YouTuberへの道がひらかれるかも!
とコツコツつづけていた。
順調に登録者も増えていたが…半年くらいで、プツッと糸が切れたように更新の手を止めてしまった。以降全く気持ちが沸かず、1本も投稿せずにいる。
昔から三日坊主で物事が長続きしない方ではあるが、あんなにも熱い気持ちで始めたYouTubeをパタッとやめてしまった自分自身に嫌気が差し、とても悩んだ。
なんでだろう。すごく燃えていたのに…なぜ更新する気が起きないのだろう。「自分は何も成せない本当にどうしようもないダメな奴だから」という自暴自棄な結論を出す前に、真剣に原因を考えた。
僕が出した結論は、「『可愛い猫の動画』が自分が本当にアウトプットしたいものではなかったから」だ。
猫を愛でる気持ちも、インターネットへの野心も、どちらも今でも全く薄まっていない。作業負荷が著しく高かったわけでもない。本当に、週1時間くらいの時間で無理なく出来ていた。
ただ、今までの人生で僕は「猫について何かメッセージを発信したい」「かわいい動画で人々の心を癒やしたい」というような志を一度も抱いたことはなかった。
それなのに、単純にチャンスがありそう&猫を飼っているという理由で、短絡的に「猫の動画」にポジションを取りYouTubeに参戦した。これ自体が良くなかった。
「息をするように自分の中から流れ出てくるもの」の発見
では、どんな媒体の、どういう内容のコンテンツであれば自分はインターネットで発信し続けられるのか。
僕が思うに、それは「息をするように自分の中から流れ出てくるもの」でなければならない。意識せずとも、普段から自分が自然にアウトプットしているものだ。
僕はここ数年の自らの行動を見つめた。
インターネットへの好奇心が希薄になり、文系ソルジャーとして黙々とせわしく働く日々のなかで、誰に何を言われるでもなく、自分に何かを課すわけでもなく、ひたすら続けていた一つのこと…
それは、気のおけない友人数人とだけ繋がっているTwitterの鍵垢でのつぶやきだった。
良いと思った音楽や映画、ニュースを聞いて思ったこと、ちょっと哲学的な気分になって考えたこと、こんな便利なものがあったという情報、親友にしか話せないような価値観の意見、見た夢の話…
そんな、人に共有するまでもないような自分の心の内を気軽にさらけ出せる。反応し合うわけではないが、でもお互い見てはいる。僕の鍵垢にはそういう心地よい空気感がある。
だからこそ、僕は自然と数人しか見ていない鍵垢でのツイートを何年も高頻度で続けていた。
これだ。
僕の場合、「息をするように自分の中から流れ出てくるもの」は、
- 受け手の目を気にせず、ただ誰かには見てもらえる可能性があるという環境において、頭の中で考えていることを文字にしたいという欲
だった。
では、今まで数人の友達に向けて発信していたツイートを、世にむけて発信すれば良い。
ここでようやく本題に行き着く。
インターネット歴22年の僕がいまさらブログを始めた理由
青春時代以来、再び僕の中で燃えたぎるインターネットへの野心。そしてマネタイズできなかったという後悔。この熱を活かして何かを発信していく上では、
- 何を発信するか
- どのような媒体で発信するか
- どのように副収入つなげるか
の3点を考える必要があった。
1.の「何を」については、Twitter鍵垢でアウトプットしているような内容が理想であるという結論だ。
いい音楽とか、映画とか、考え事とか、思った事を、発信し続ければ良い。
僕が普段生きているなかで感じたことを、そのまま、今までのように発信すれば良い。
2.を考えるにあたっては、今まで通りの環境を守るのであれば「文字での発信」「人目を気にしなくても良い場」であることが重要だ。
テキストベースでのアウトプットとなれば、まさに今まで鍵垢でしていたツイートを公開アカウントでするという方法もあるし、イマドキはnoteなんていう選択肢もあるだろう。
でも、SNSだとダメなのだ。
SNSはどうしても、「受け手の存在」を意識してしまう。
僕は上述のTwitterの鍵垢とは別に、もう少し広く、知人友人と繋がってるTwitterの鍵垢があるが、そちらでの投稿は本当に稀だ。また、FacebookやInstagramも全く同じような状況で、アカウントこそあれど、親族や友人、同僚との連絡網的な意味合いしか無く、僕の心のなかを露呈するようなことは全くしない。
人との繋がりが明確に前提となっている場でのアウトプットは、必ず「見てね」という暗黙のメッセージが伴ってしまう。
だからこそ、自分勝手すぎる事や偏りすぎているような事は発信できないし、コメントがあれば返さないと失礼なような気がするし、「いいね」があれば何となくその人の投稿も気にかける必要があるような気がしてしまう。
僕にとってそのような場は非常にストレスフルだし、言いたいことが言えないような間柄の相手の発言にも興味がないし、必然的に連絡網としての機能しか残らない。
知人友人関係とは断絶しSNSでイチから始めたとしても、必ずフォロワーやいいねの概念はつきまとう。新しい人間関係が生まれてしまう。
Twitter鍵垢のように好きでずっと続けるためには、書くこと以外のノイズを極小化する必要がある。普段の自分の思考や行動のプロセスに無いもの・ストレスフルなものを入れ込んでしまうと、YouTubeのようにどこかで無理が出てしまう。
だからTwitterでもnoteでもなく、コメント機能を排除し完全に独立したブログをアウトプットの場に選んだ。
(かつ、Wordpressなど触ったことのないものを使おうとすると面倒くさくなってしまうため、今までも使っていたNotionメモページがそのまま記事として世に出るAnotionという仕組みを選んだ。こんなにも今の自分にぴったりなソリューションは無い。)
3.の収入に繋げるという部分は、まさしく青春時代の後悔に基づくものだ。
コンテンツを生み出すからにはその対価が欲しい。SNSにポジションを置くのであれば、それは直接収入ではなくいいねやフォロワー数という承認や影響力という形で求めてもいいのかもしれない。
でも僕は、SNSではなく、ひっそりとブログでやる。だから、シンプルにブログに広告を貼る。
いつかどこかのタイミングで、検索で辿り着いた人が僕のなにかの記事を見てくれるだろう。
その時、僅かな広告収入という形で、僕のアウトプットへの対価が示されることになる。こんな素敵な構造はない。
インターネットという広い海の一隅でアクアリウムに勤しむような、そのようなマインドだ。
僕は、Twitter鍵垢と同じような今までの習慣の延長で、見ることを特定の誰かに強いることはなく、でも誰かには見てもらえる可能性があるこの場に、頭の中をアウトプットし続ける。
このようにして、ブログというものが自分にとって最適なインターネットの使い方であるということに、20年越しに気がついた。
これが「インターネット歴22年の僕がいまさらブログを始めた理由」だ。