僕の中のサイケの定義とポリシー
Date
2022/10/17
Update
2022/11/24 8:14
Tag
サイケ
僕の発言には「サイケ」という言葉が頻出する。
あらぬ誤解を生まないため、そして自分の整理のためにも、僕が使う「サイケ」という言葉の定義について記しておきたい。
「サイケ」の定義
Wikipediaによると、サイケデリックとは以下のような意味となる。
サイケデリック(英: psychedelic)、サイケデリア(英: psychedelia)は、LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のグルグルと渦巻くイメージ(またはペイズリー模様)によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚の形容表現である。しばしばサイケと略される。
このように、一般的に「サイケ」は「幻覚剤による幻覚」を意味する。
一方で、僕は「サイケ」という言葉を物事の因果・構造・意味について考えさせられてしまうもの広く全般に対しての形容表現として使っている。
これに当てはまるなら、なんでもサイケと呼ぶ。たとえば、宇宙ヤバい系の話、親子が似る話、死の怖さについて、人間の集団心理について、こういう話を全部「サイケ」と呼んでいる。
※念のため補足:もちろん僕がこの定義の第一人者ではない。同じニュアンスで「サイケ」という言葉を使う人は昔からいるし、僕は何となくでそのニュアンスを受け継いでいるに過ぎない。
「サイケ」の要素
僕が使う「サイケ」という言葉に含めているものの一部を紹介する。
- 科学、とくに宇宙とか生物とか。この世界の成り立ちに関する好奇心。
- 哲学的な話。科学でカバーしきれないが、学問のレベルで考えられてきた問題。生きる意味、死をどう捉えるか、愛とは何か、など。
- オカルト、スピリチュアル、ドラッグによる意識拡張など、メインストリームの学問たちからは弾かれるが、独特の視点やセオリーで物事の説明を試みているもの。
- 人の心に関する話。個人・集団を問わず、人間にどのような習性があって、それが世の中にどのような特性をもたらしているか。自己啓発、心理学、行動経済学など、人の習性がキーとなっている話全般。
などなど。つまり、煮詰めたら生物・物理・哲学・心理などのテーマにつながっていくタイプの、深くて考えさせられる話、それら全般、ということになる。
ネーミングの由来
僕が上に書いた要素たちを「サイケ」という言葉でくくるのは、なんと言ってもアイデンティティーに由来している。
もともと映画や音楽が好きなので1つ目は「アート」、同じくらいインターネットやガジェットが好きなので2つ目は「ハック」。
3つ目、最後の1つを決めたいが思い浮かばない。その他自分から湧いて出てきそうなトピックは何だろうかと考える。
そういえば僕は、小さい頃から図鑑や宇宙の話、思考実験的な話やオカルティックな話も含め「考えさせられる」ような話が大好きだった。そういう話を見ては何かを考えてツイートしたり、友達にLINEしたりということを繰り返してきている。
そういうトピックを洗い出したところ、上で挙げたような要素として整理できたので、これらを「物事の因果・構造・意味について考えさせられる」というニュアンスの言葉で一括りにすることにした。
が、残念ながらピッタリの言葉は辞書には存在しない。そういう話題のためには「哲学」「SF」「スピリチュアル」「科学」「宗教」といった様々なラベルが用意されているが、どれも一部しか表現できない。全体を包含できそうな「思考実験」「空想」「思索」「観念的」「抽象」「形而上」などのいろいろな言葉をイメージするが、やはりピタリとはこないしイケてない。
しばらく悩んでいたところ、科学や文学などとは別な文脈でこういう話が展開されがちなシーンを見つけた。それこそが、かつて60年代のヒッピー・ムーブメント下において幻覚剤系のドラッグを利用して精神の拡張を試みた著名人たちの体験記だ。
僕が「アート」の文脈で敬愛するビートルズや、「ハック」の文脈で敬愛するスティーブ・ジョブズなど、僕がもともと強く共感する興味領域のなかにも、当時の幻覚剤の体験を公言する著名人は多々存在する。
そして、幻覚剤影響下における彼らの話は、哲学だの宇宙だの意識だのと…まさに「物事の因果・構造・意味について考えさせられる」ような話ばかりなのだ。(※海外著名人による幻覚剤体験談はNetflixのサイケな世界 ~スターが語る幻覚体験~が面白いのでぜひ観ていただきたい)
この不思議な一致に経緯と愛着をこめて、僕はあえてエキセントリックな文脈からことばを引用して、僕が好きなものを「サイケ」と呼んでいる。
つまり僕にとって世の中のうち語るべきものは「アート」と「ハック」と、そしてその他すべては「サイケ」だ。
リーガルポリシー
上でつらつらと述べたことを乱暴に要約すると、僕は「アイデンティティを表現するためにドラッグの文脈を引用している」ということになる。
が、ここまで端折ってしまうと非常に誤解を招きやすいであろうから、ハッキリと宣言しておく。
僕自身は違法ドラッグを使わないし、あらゆる法律は遵守されるべきであると考えている。
僕が哲学的・内省的な思考をしがちなのは幼少期から変わらぬ性格に由来しており、ドラッグに由来するものではないということは強調したい。
このサイトでは「サイケ」な話題の要素として、規制されている幻覚剤等のドラッグについての欧米での研究等の情報について触れることはある。が、僕は「サイケ」のテーマの一つとして幻覚剤に関する話題を探索しているのみであり、違法薬物を含むあらゆる向精神物質を勧める意図は一切持っていない。
どうかその点だけは僕のスタンスを誤解なく捉えていただけると嬉しい。