宮沢賢治「春と修羅」現代語訳・意訳

孤高の天才、宮沢賢治の「春と修羅」の歴史的・抽象的な表現を意訳し、現代風にアレンジしました。 随時更新していきます。

春と修羅

屈折率

私自身という現象は、 仮想的に作られた有機的な交流電灯の 一つの青い光です。 この光は、あらゆる種類の透明な幽霊たちが集まったもので、風景や他の人々と一緒に激しく点滅しながらも、はっきりと灯り続けています。これは、因果律によって繋がれた交流電灯の青い光の一つで、光は維持されていますが、電灯自体は失われます。
これらの表現は、過去22ヶ月間にわたって紙と鉱物インクを使って記録されてきました。これらはすべて私と一緒に点滅し、みんなが同時に感じるものです。ここまで維持されてきたのは、光と影の一連の瞬間や心象スケッチです。
これらについて、人間や銀河、修羅や海胆は、宇宙塵を食べたり空気や塩水を呼吸しながら、それぞれ新しい本質論を考えるかもしれません。しかし、それらも結局は心の中の一つの景色に過ぎません。ここに記録された風景は、記録されたままの姿で、それが虚無であれば、その虚無自体がこの形で存在し、ある程度まではみんなと共通するものです。
しかし、新生代の沖積時代の膨大な明るい時間の中で、正確に写されたはずのこれらの言葉も、わずかな明暗の中で、その構成や質を既に変えてしまっているかもしれません。それでも、私や印刷者はそれが変わらないと感じるかもしれません。これは、私たちが感覚や風景、人物を感じるように、そして単に共通に感じるだけであるように、記録や歴史、地質学も、その様々なデータと共に、私たちが感じているだけかもしれません。おそらく2000年後には、まったく異なる地質学が使われ、異なる証拠が次々と過去から現れるでしょう。みんなは2000年前には空一面に色のない孔雀がいたと思うかもしれません。新しい学者たちは、大気の最上層や華やかな氷の窒素の辺りから素晴らしい化石を発掘したり、白亜紀の砂岩層から透明な人類の巨大な足跡を発見するかもしれません。

くらかけの雪

日輪と太市

丘の眩惑

カーバイト倉庫

コバルト山地

ぬすびと

恋と病熱

春と修羅(mental sketch modified)

空は青く、蔦が雲に絡まり 野ばらの茂みや湿った土の匂い 春の美しい光景が広がる (太陽が昇り、陽光が注ぐ時) 喜びと苦しみが交差する 四月の明るい空の下で 私はひとりで戦い続ける (風景は涙に揺れる) 雲が割れ、青い空が広がり 天空の海で風が吹く 春のヒノキが光を吸収し その暗い姿は雪のように輝く (影の波と白い光が交差する) 真実の言葉は見つからない 雲は飛び散り、空が広がる ああ、輝く四月の日々を 戦いながら過ごしていく (雲が流れ、どこかで鳥が鳴く) 太陽が青く輝くとき 戦いは森の中で響き渡り 暗闇の底から木々が伸びる
その枝は悲しく茂り すべての風景が二重になり 森の梢から黒いカラスが飛び立つ (空は晴れ渡り、ヒノキは静かに立つ) 草地の緑を越えてくる人々 彼らは私を見て笑顔を見せる 本当に私が見えるのだろうか 眩い空の中で (悲しみは青く深く) ヒノキは静かに揺れる 鳥は再び青空を舞う (真実の言葉はここにはなく  戦いの涙は地に落ちる)
新しい息を吸い込むと 胸が軽くなり、心が晴れる (この体は空に散らばって) ヒノキの音が再び光とともに響く
ヒノキはさらに黒くなり
雲からの光が降り注ぐ

春光呪咀

有明

陽ざしとかれくさ

雲の信号

風景

習作

休息

おきなぐさ

かはばた