「自分史」と、未来の「お墓」についてのアイデア
Date
2022/08/15
Update
2022/8/15 14:04
Tag
サイケ
アイデア
まだまだ人生のほんの一部を書いている途中だが、既にめちゃくちゃ面白さ・有意義さを感じている。
そして、これは未来の「お墓」やそれにまつわるビジネスに繋がりうるのでは?と思ったので、思いついたままに綴りたい。
自分史の概要とを始めたきっかけ
自分史は、そのまま言葉通り今までの自分の人生について書き連ねたものを指す。
ただし、終活や認知症対策など、どちらかというと高齢の方々に推奨されているようにも見受けられる。(一部、就職活動や自己分析で推奨するものもあるが。)
自分史の面白いところ
なんといっても、過去のことは一度書けばもう二度と書く必要がなく、どんどん積み重なり厚くなっていくというところに「自分史」の面白さとやり甲斐があるな、と僕は感じている。
ただしこれには、ある程度情報整理に向いたツールを使うという条件が伴う。
会話だけで昔話をしたならば何度も同じ話をしてしまうかもしれないし、ただの紙のノートに思いついた順に書き連ねたならば、後から「これはもう書いたかな?」とわからなくなり、ノートが厚くなればなるほど参照するのも手間になるだろう。
だが残念ながら、高齢の方々に向けた文脈が主なのもあってか、紙ベースで記述するやり方についてのハウツーが多いように見受けられる。
僕としては、そのやり方では「自分史」の魅力が失われてしまうと思う。
Notionは情報整理に長けたツールなので、思いついたままに書き、あとから構造化・整理していくことが簡単で直感的にできる。実際に僕の「じぶん史」も、適当に思いついたままに書き、それを後からカテゴライズしたり並び替えたりして整えている。
別にNotionでなくとも、どんなメモツールでも良いと思う。ただ、とりあえず思いつくままに書いたものを後から手間なく整理できるというUIは、自分史作成にあたっては必須要件だと僕は思う。
着想
こうしてみると、短いようで長く、いろいろな事に遭遇しいろいろなことを考えてきた人生だなあ。
親や、その上の先祖たちも、環境は違えど僕と同じようなことを考えて生きてきたんだろうか。もし彼らの自分史があったら読んでみたいなあ。
すると、ふと、これってビジネスになるんじゃないだろうか?とひらめいたので、以下にそのアイデアを記す。
僕はそれなりにアイデア豊かな方だと思うが、残念ながら実行力は一切ないので、いつか誰かのヒントになればいいやくらいの気持ちでこうしてネットの大海に放とうと思う。ちなみにこんな感じで今まで貯めに貯めたアイデアが結構あるので、ちょいちょい書いていくつもりだ。
「自分史」が取って代わるもの
ズバリ、僕は「自分史」が未来の「お墓」に取って代わる可能性があるものではないかと考えている。
僕は田舎出身の30代だが、実家には当たり前のように仏壇があり、墓地にいけば自分の家系のお墓があった。
が、恐らく自分は将来的にも仏壇やお墓を買うことはないだろうと思う。
別に仏教や宗教全般に対してなにか疑念的な思いがあるわけではないし、命への思いや死者を偲ぶ気持ちはもちろん持っている。ただ、一般的な仏壇やお墓のビジネス構造には共感できず、そこに多額のお金を払うことにあまり意味を感じないのだ。去りし人の愛を噛みしめ、感謝し、祈る行為。そこに他人である僧侶やお金が介入する必要は僕は感じない。
上述の通り、僕自身は「先祖の自分史を見てみたい」と、率直に思った。逆に、僕がブログをやっている理由の一つでもあるが、赤裸々な僕の思想をインターネットの大海に放ち、どこかの誰かが、もしくは自分の子孫の誰かがいつか見てなにかを感じてくれたら最高だなと思う。
だから、僕は、旧来の風習であるお墓や仏壇の代わりに、「自分史」をデジタル媒体の墓標として継承してく未来が来たら素敵だな、と思う。
故人の人生禄を読み、そこに見え隠れする価値観や信念を感じる。自分自身との繋がりを感じる。それって、お墓の前で線香1本あげて黙祷するよりも、よほど素晴らしく故人を偲ぶ行為だなと思うのは僕だけだろうか?
具体的なアイデア
僕はビジネスをつくる能力はない人間だが、無邪気に発想することだけは好きなので「自分史」を「お墓」に取って変えるサービスの具体的な方策をいくつか考えてみた。
- その時思いついたことを都度書いていけば、「自分史」として情報を構造化してくれる
お墓との最大の違いは、故人が生前からコツコツと自分史を書き連ねる必要があることだ。(お墓も生前に建てる人は居るが)
「そういえば、●歳のときにこんなことがあったな」「そういえば昔、これを見た/聞いたときにこんなことを思ったな」などと、思いついたときにササっとツイートするかのようにメモれば、それを構造化して勝手に纏めておいてくれるような、そういう機能は必要だろう。
- 自分史を永久保管してくれて、後の子孫が引き継げる
「お墓」に取って代わるために何よりも大事なのは、永続的な保管に関する責任を持つことだと思う。
つまりお墓は、その永続性の担保を主たる価値に据えたビジネスなのではないかとも思う。必然的に、雨にも風にも負けない超頑丈な石という媒体を選ぶことになる。
「自分史」をサービスにするなら、預かった「自分史」は何があっても絶対に消失しないような徹底的な維持管理の品質が求められるだろう。
このたった20数年のインターネットの激動を思うとそれは生半可なことではないようにも感じるが…ただ、1つ1つの「自分史」のデータがただのテキストデータであるとすれば、維持管理するためのコストはさほどではなかろうとも思う。(画像や動画等テキスト以外のファイルも請け負うとなると話は別だが…)
- 家族でのサブスクリプション
個人単位ではなく、同居家族単位でサブスクリプションし、1家庭から月100円でも取れたら十分にビジネスとして成り立つのではないかと思った。ユーザーとしても、既存の墓標ビジネスと比べれば破格だろう。
プラットフォームやデータサーバーの維持管理費、人件費などいろいろとコストは考えられるが…預かるのはテキストデータだけという前提とするならば、世の他のサービス開発に比べればライトだろう。
- クローズドSNSとして
サブスクリプションは家族単位でありながらも、アカウントは1人1つ持ち、アカウントごとの血縁関係の構造と家族のグルーピングをシステム側で行い、繋がりのある人間の自分史を参照できるようなSNS的機能が付帯していると良いと思う。
僕がユーザーだったら欲しいのは、「どこまで誰に何を見せるか」が選択できる機能だ。
たとえば、事実の羅列は「血縁関係のある人すべて」とし、エモい気持ち全開の言葉は「直系の子孫だけ」にして、超赤裸々情報は「配偶者と一親等だけ」にするなど。
恐らく、このサービスにとっての最も高いハードルは信用獲得だろう。
事前から一定の評価を獲得し、信頼してもらった上で、ローンチの瞬間一定ボリュームのサブスクリプションを獲得しなければまたたく間に頓挫しそうだ。(ただ、ひとたび運用に足るサブスクリプションユーザーが獲得できれば、離脱率は極めて低いのではないかとも思う。お墓を捨てる人は居ない。)
ざっとこのくらい書いたら、書きたい欲が満足したのでここまでとする。
ただの雑アイデアの書きなぐりであるし、詳細に検討したら頓挫する可能性のほうが大きいだろうが、いつかどこかの誰かの目に留まって面白いと思ってもらえれば僕自身はそれだけで十分「成仏」できる。(願わくば、頭がよく行動力のある人が本当にサービス化してくれたら最高だが)