夢日記について考える

Date
2022/07/31
Update
2022/8/15 14:45
Tag
サイケ
僕は、見た夢を思い返したり、内容について考えたりするのが好きだ。
「自分の考えや認識が潜在的に現れているのかも?」という、示唆に富んだユニークな夢をみると、ついついツイッター等に書いておきたくなる。
ただ、よく「夢日記は危険」という噂を耳にするので、何となく深入りはし過ぎないようにしてきた。
夢日記は、本当に危険なのだろうか?

「夢日記が危険」は本当か?

巷の情報がうさんくさすぎる

夢日記についてググると、とにかくオカルト的・スピリチュアル的な、論文などの出典やエビデンスが皆無のうさんくさい記事や知恵袋ばかりが上位に出てくる。
オカルトやスピリチュアルな話題を否定はしない(むしろ好き)だが、僕はそれらよりも現実における合理的な行動を重んじる。
「夢について記録したい」という僕の具体的な行動欲求を縛られてしまう以上、明確な根拠がなければ納得できない。
「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」を信じて日中にしか爪を切らない人は、現代には居ない。ただなんとなく、「夢日記が危険」となると、夢と脳との関係の深さをイメージし、あながち迷信とも思えない…という、僕と同じ感覚の人は少なくないのではなかろうか。

(余談)噂の出所に関する推測

僕が探索する限り、英語圏で「夢日記が危険」という情報やQ&A等は出てこなかった。(むしろ、あちらの人たちは夢日記に対し積極的なようにも見受けられる)
このことから、おそらく「夢日記が危険」という噂の出所は日本であり、かの有名なゲーム「ゆめにっき」によるものではないかと僕は睨んでいる。
ゆめにっき」の主人公や世界観・ストーリーはどこか病的で、精神病を想起させる。
そして「ゆめにっき」がリリースされたのは2004年。
当時のインターネットにはまだ巨大なコミュニティは少なく、わずかにアングラな空気感が残っていた頃だった。あの環境においては、「話題のゲーム」と「オカルト・スピリチュアリズム」という、全く遠い文脈が合流し、相互に影響を与え合うということが起こってもおかしくはない。
あの当時のゲームの印象と噂が、オカルト・スピリチュアル界隈に尾を引いているのではなかろうか。

頑張ってエビデンスを探す

まず日本語では、とうとう「夢日記」に関する論文や研究などを見つけることはできなかった。
既に同じような疑問をもち、「エビデンスが無いから迷信だよね」という解釈をしている先人の方々は多数いらっしゃるようだ。
また上述の通り、英語においても「夢日記が危険」という情報は見つけられなかった。
論文検索エンジンであるPubMedでは「dream」に関する論文は無数にあるが、「dream diary」や「dream journal」について言及している論文は全く見つからない。
論文ではないが、夢日記を推奨している心理学者のコラムなどは発見できた。
夢日記が「危険」にしろ、逆に「有用」にしろ、なにかしら影響のある行為である場合、1本くらい論文が見つかっても良いと思うのだが、それが無いということは特に研究されるほど意味がある行為ではない、ということなのかもしれない。

サイケデリクスの潮流をふまえて

突然ぐっと踏み込んだ内容になるが、僕は昨今欧米を中心に一気に進んでいるサイケデリクス研究の内容がSF的で面白くて好きだ。(ここに起因し、ブログで哲学チックな話とか宇宙とかの話をする際のカテゴリ名のネーミングに「サイケ」という言葉を採用している)
つい先日公開されたNETFLIXオリジナルシリーズ「心と意識と」ではガッツリと「LSD・マジックマッシュルーム・MDMA・メスカリンという違法薬物たちが危険ではなくむしろ精神疾患に有効」というなんともセンセーショナルな内容を配信しているが、これはジャンキーの妄言ではなく、心理学者や精神科医たちが真剣な姿勢で、有効性をエビデンスとともに示し欧米の医学界が変化させつつある、というドキュメンタリーとなっている。
欧米での研究で示されるサイケデリクスによるメリットは個別具体的に話すと非常に広範にわたる(※詳しくはPubMedの論文などを参照)が、一般化すると「物事に対しての認識や考え方を平時と全く違う状態にさせる薬効を利用し、自分の内面(記憶・性格・思考・癖などの精神的構造全般)についての理解を深めることができる」ということなのかな、と僕は解釈している。
これをふまえると、「夢」が潜在的な自分の内面と連関しているものであるならば、それについて観察し・記録し・考えるという行為は、ある意味現在研究されているサイケデリクスによる精神へのアプローチと非常に近しいものといえるのではないか。
だから僕は、興味深い夢については積極的に記録・考察していこうと思う。